2018/07/18

プロフィール

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はじめまして!

川崎真希(かわさきまき)と申します。

私は、英語コーチとして、

「英語を話せるようになりたい」
「いまの英語力をもっとアップしたい」

という方を対象に、主にコーチングという手法を使い、

英語面およびマインド面の両方から、目標達成をサポートさせていただいています。


また、沖縄県那覇市(首里)で英語教室を経営しており、子どもから学生、大人の方まで年齢・レベルに応じた英語レッスンを提供しています。


簡単な自己紹介・略歴


本名:川崎真希(MAKI KAWASAKI)

出身:香川県東かがわ市

好きな映画:ラブ・アクチュアリー、サウンド・オブ・ミュージック

学歴: 東京大学 文学部行動文化学科(社会学)卒業    
    東京大学大学院 新領域創成学科環境学専攻(修士課程)卒業

職歴・経歴: 
    
 新卒でSONYに入社。  
       
 TOEICの点数アップとキャリアアップをめざして英語学習に必死で取り組むが伸び悩む。  

       
 長女を出産後に、やむをえない事情で退職したのを機に、これまでの英語学習から内容・マインドともにアプローチを大幅に変えて半年間の集中学習で英語力を飛躍的に伸ばす。  

 英語講師として世界でもっとも認知される英語教授資格、ケンブリッジCELTAをイギリスで取得し、英語講師としてのキャリアをスタート。  

 英会話スクール、大学受験予備校、進学塾に勤務し、業務委託でオンラインビジネスの英会話講師などを行う。  


 アメリカからの著名な教育者の通訳アテンドをさせていただく機会をきっかけとして、本気で英語教育を変革したい!と目覚める。    
 ⇒日本で大ブームとなった「フォトリーディング」の考案者、ポール・シーリー氏の通訳経験についてはコチラ  


 2016年6月にLifework School of Englishを設立し、英会話教室の運営と英会話レッスン、英語コーチング業をスタート。  


 これまでの教育機関への勤務経験とフリーランスを通じて、幼児・小学生・中学生・大学受験生、社会人、シニアの方など、多岐にわたる年齢や属性の方に英語を教える。 

 
 また、指導内容は、日常会話、TOEIC/英検/IELTS/ケンブリッジ英検/TOEFL、保育英検、高校受験、大学受験・・・と生徒さん、クライアントさんの目標にフォーカスした英語レッスンあるいは学習アドバイスを行う。  

 また、英国マッサージ協会認定のベビーマッサージインストラクターの資格を生かし、「えいごうたベビーマッサージ」を展開。  


 目標達成率93.3%、日本一の英語コーチである奥村式 英語コーチの一人  

 「原田メソッド」認定パートナー講師  
 (※原田メソッドは、ユニクロが導入し大谷翔平選手も実践する原田隆史氏により開発された目標達成法です)  

 TOEIC 960点、英検1級

 
家庭:3児(8歳・5歳・0歳)の母。

   自分の子育てにも英語でのコミュニケーションを取り入れ、だれもが日常生活の中でできる効果的かつ楽しい英語育児方法を目下研究&実践中。



なぜ?英語コーチ・・・


私は、今、英語を教えることを中心に、英語を仕事にして生きていますが、

当然ながらバイリンガルでもなく帰国子女でもなく、留学経験もありません。

はじめて海外に足を踏み出したのは20代になってからですし、本気で英語を勉強し始めたのは30代です。

大学に入る前までは、英語をすご~く勉強したのですが、大学に入ってから英語から遠ざかり、その結果、話せないのはいわずもがな・・・で、英語は私のコンプレックスになりました。

社会人2年目で受験したTOEICは490点!

そこから、自分のキャリアアップに必要だと考えたTOEICの勉強を開始するも、伸び悩みました。

義務教育や大学受験の英語は別にして、大人になってから約10年ぐらい、紆余曲折の英語学習に費やしました。

私は、過去の英語学習でかなりの回り道や無駄な勉強、挫折、失敗・・・などの紆余曲折をへてきました。


膨大な時間とお金をかけてやっと、英語学習とはかくあるべきといった方法やメンタルを確立してきたのですが、そんな遠回りをせずとも英語を身につけられる方法があったんです。


それが英語コーチング。


英語コーチングはコーチングのメソッドを使って、コーチとクライアントが一緒に目標達成を目指していく画期的な英語学習アプローチです。

まず、具体的な目標を設定し、目標と学習やのライフスタイルに合った学習プランを立て、定期的なセッションと毎日のメールサポートでクライアントをフォローしていきます。

自分に合った効果的な戦略で効率良く学習を毎日続けていくことで、3ヶ月~半年という短期間で目標を達成できるのです。

このような効果的な学習アプローチで、たくさんの人に英語を話せる喜びと、英語によって広がる可能性やワクワクを手に入れてほしいと思い、英語コーチをはじめました。

私自身も、英語が話せたことで、自立した女性として、家庭と仕事を両立する自分らしいライフスタイルを気づくことが出来ました。

また、プライベートでも自分の好きなように旅行をプラニングし、たくさんの国の人と現地で触れ合うことができ、いろんな考え方や文化や個性があることを知りました。

仕事でもプライベートでも、世界が広がり、ワクワクが止まりません。

英語はこれからもどんどん、大きな武器にもなるし人生を変えるきっかけにもなります。

むしろ、英語が理由でやりたいことをあきらめたり、何かをためらったり、夢に向かってチャレンジすることをやめてほしくないんです。

だから、昔の私みたいに、英語がなかなか上達せずに悩んでいるひとを1人でも多く助けてあげたい、そう思っています。


どうやって英語の勉強をすればいいかわからない。

英語の勉強が続かずに、すぐ挫折してしまう・・・

英語ができるようにならないので、自分自身にも自信をなくしてしまっている。


そういった悩みが英語コーチングで解決できます!


「こんなに英語が話せるようになるなんて、以前の私だったら信じられません!」

「英語の勉強が楽しくなりました!」

「英語が上達している実感がしてワクワクしています。」

「海外旅行が今まで以上に楽しくなった。」

「全く話せなかったのに、英語で伝えられるようになった」

「職場でネイティブの同僚との会話が苦痛でなくなった」


3ヶ月でクライアントさんにはこのような結果が出ています。

英語コーチングで、英語力とともにより素晴らしいワクワクした未来を手に入れられるようお手伝いしています!


私の英語学習歴(最近→過去へさかのぼります)


育児と仕事を両立するワーママ&アラフォーで、TOEIC960点・英検1級!


「英語がすごくできるんですね・・・」とよく言われます。

若い時からずっと英語ができていたんですか?とも。


実は、TOEIC960点と英検1級を取得したのは、30半ばを過ぎてから。

英検1級に至っては、アラフォーです。

しかも、英語の勉強に専念できたわけではなく、外では働き、家では子どもたちの育児をしながら・・・という状況の中です。

とくに、英検1級は、2018年1月の英検で一次試験、2月に二次試験、と一発合格できたのですが、このとき、3人目が生後半年、保育園にも入っておらず、誰にも預けたことがなく、ず~っと一緒。

しかも、仕事もしていて、子連れレッスンで片時も離れることできず・・・。

英検1級を受験に行くときは、会場まで主人に送ってもらう車の中で、会場に行く直前まで授乳し、試験が終わったら迎えに来てもらってた車の中で授乳する・・・という慌ただしさ。

TOEIC960点をとったときも、2人目(次女)が3歳ぐらい、でした。。。

はっきり言って、20歳代で独身時代の、残業も多かったフルタイム会社員時代のほうがずっと勉強時間はありました。

でも、20代の頃の英語学習は、なかなか結果がでなかったんです。

30代に入ってから、私は本気で英語に向き合うことを決めたんです。

そのきっかけが、英語指導資格「ケンブリッジCELTA」をとろうと思ったことでした。

ケンブリッジCELTAを取得したことが私の転機に


私が英語教育者(英語講師&英語コーチ)としての人生を踏み出す大きなターニングポイントとなったのが、

ケンブリッジ大学教育機関(Cambridge Univ. ESOL)認定の英語指導者資格(CELTA)を取得したことでした。

この「CELTA」は英語指導者資格としては、世界で最も認知され信頼されている英語指導者資格と言われています。

 (⇒「CELTA」について詳しく知りたい方はコチラをご覧ください

私は、「英語で人生を変えよう!」と決意したときに、この資格をとろうと思いました。

基本的に、「ケンブリッジCELTA」はネイティブ向けの資格。

コースを受ける上での最低条件が、「ノンネイティブの場合は、ネイティブ並みのスピーキング力とライティング力を要する」というものです。

だから、この資格を持っていたら、ネイティブ並みの英語力をもっている、との証明になる?!

あと、私は昔から純粋に「教える」「人と関わる」のが大好きだった!

さらにさらに、私の実母がずっと学習塾を経営し、ひとりで教えていて・・・

「蛙の子は蛙」と言ったもんですが、私も手伝っていたので、教えるの大好きだったんです。

この「ケンブリッジCELTA」への最低要件、すなわち「ノンネイティブの場合は、ネイティブ並みのスピーキング力とライティング力」は当時の私のレベルには無謀すぎる目標でしたが、

これを半年間の集中学習で到達することができました。

この半年間は、一生のうちで一番英語をやった!・・・というぐらい必死で勉強しました。

当時1歳だった長女の育児中も、英語学習のために1分1秒を無駄にできない!との思いから、長女にずっと英語で話しかけていました。

正確にいうと「ネイティブ並み」までは達しなかったものの、イギリスのCELTAを提供するスクールで、審査をへて入門を認められたので、一応、「ネイティブ並みのスピーキング力とライティング力を有する」と認められたようでした。


この審査は、書類審査、筆記試験、グループインタビュー(面接)、個人インタビューで私にとってはヘビーなものでした。

とにもかくにも、CELTAコースへの入学がかない、CELTAの取得に向けたコースに通うことができたのでした。

「やった~~~!ついにCELTAをとるために土俵に立てた~~~!」

と喜ぶのもつかの間、が、なんとかぎりぎりのラインで入学を許されたのであろう私を待っていたのは、まさに茨(いばら)の道・・・

コースに入学してからが大変で、先生はもちろん、クラスメイトは全員ネイティブ。会話のスピードについていけない…英語で英語を教えるということの難しさ・・・

迫りくる頻回の実習やレポート課題・・・

厳しいチューターからの酷評・・・


やっぱり自分には難しいチャレンジだったんだ・・・と何度も心が折れそうになりました。

・・・というか、ポキポキ折れまくり凹みまくりでした。

しかし、こうした厳しい講師トレーニングや実習課題、課題や実習に対する厳しい審査と指導をなんとかPass(合格)して、この指導資格を取得することができたのです!


このCELTAという英語指導資格は、ネイティブでも脱落する人が少なくない、かなり厳しいものだと有名でした。

当時、コースのスタート時点からすでに第二子を妊娠していた私は、同期のクラスメイトから、

「ネイティブの私らでさえストレスフルなこのトレーニングを、非ネイティブで、かつ妊娠していながら受けてるなんて、あなたはすごい!ってか、むしろクレイジーだよ!」

と言われました(笑)。

ネイティブの言葉通り、コースは相当「ストレスフル」で、何度もくじけそうになり精神的に追い込まれました・・・

CELTAコースへの入学を許されるまでの英語力を身につける半年間の学習期間も大変でしたが、コース期間中は精神的に、もっともキツかったです。

ただ、このトレーニングを含め、非英語圏から留学してきていた外国人たち(約50人以上)に英語を教える機会は有意義なものでした。

ティーチングスキル向上という目的以上に、いろいろなバックグラウンドや価値観をもつ多様な人たちとコミュニケーションできる、非常に貴重な経験となりました。

東欧や南米、アフリカなど、これまで話すことのなかった人種や民族の方と触れ合うのは新鮮でしたし、彼らからすれば日本人も珍しかったようです。

モンゴル人や韓国人は同じアジア系ということで妙な親近感!

モンゴル人の生徒とは朝青龍の話題で、韓国人の生徒とは韓流ドラマの話題で盛り上がりました(笑)。

また、CELTAで課されるレポートに取り組むために、多くの文献や論文を読む必要があったので、

それらを通して、外国人が英語を習得するための最新かつ効果的な英語指導法を学ぶことができました。


とはいえ、講義はついていけたものの、レポート試験もなんとかクリアできたものの、Teaching Practice(実習)がとにかく大変で・・・準備と緊張で、眠れない日が続きました。

連日のダメ出し・・・落第スレスレの評価・・・痩せました・・・

しかも、当時は第2子(のちの次女)妊娠中で、つわり真っただ中・・・

精神的にも体力的にも、いっぱいいっぱいでした。

ちょっとしくじって、ある実習の回でかなり悪い評価をとってしまい、もう無理かも・・・と思いました。

私の人生で「もう・・・ダメだ・・・」と絶望に陥りかけた5大暗黒経験のうちの一つです^^


でも、そこから自分のメンタルを立て直し、夜の寝る間も惜しんで準備に準備、練習に練習を重ねました。

最後のTP(実習)では最高の成果を出し、

ケンブリッジ大教育機関(ESOL)からわざわざ身に来ていた審査官にも、

「あなたは大丈夫!パーフェクトだ!」

とのお墨付きをもらい、無事(でも、ギリギリ)合格をもらうことができました!

このCELTA取得が、私の英語教育キャリアのスタート地点となり、「これで生きていくんだ!」と腹が決まったわけです!


日本に帰国後は、生まれてきた第2子(次女)の育児期間をへて、英語講師としてのキャリアを本格的に歩み始めました。


もともと英語ができたわけでは決してありませんでした


今でこそ英語力を駆使する仕事をしている私ですが、このような英語力を身につけるまでに、私その道のりは決して順調ではなく、むしろ多くの悩みを抱え、紆余曲折をしてきました。

そして、いま私がよく言われるのは、「昔から英語できそうだよね~」とか「もともと頭いいんじゃない?」などと言われますが、

いやいやいやいや・・・・。


私は、帰国子女でもなく、幼少期から英語を習っていたでもなく、小・中・高と地元の公立の学校で、ふつ~の義務教育を受けて育ちました。

私の出身は、うどん県こと香川県。そのはじっこにある、「東かがわ市」という「超」がつく田舎(高松が都会に思えるくらい・・・)で生まれ育ちました。

初めての海外旅行は22歳のときでした。

もちろん留学経験はありません。

英語を学び始めたのは、中学校の授業でした。


小学校では、学校の成績は良くなくて、むしろ落ちこぼれ・・・

でも、中学校・高校では、勉強をがんばって、特に英語はめちゃくちゃ勉強しました。

結果、めちゃくちゃ得意にはならなかったものの、足を引っ張るほどでもない安定科目となりました。


しかし、大学生になってからは、英語の教科書が難しくて、英語には「サヨナラ~!」しました。

「大学受験は終わったし、もう英語は必要ないわ~~!」という感じで、英語から即退散です(笑)。

ちなみに、私は大学は英文科などでもなく、・・・むしろ大学時代はほぼ英語から離れていました。


その結果・・・大学4年に初めて行った海外旅行で、自分の英語の出来なさ(聞きとれない&全く話せない、まぁ読むのはナントカ・・・)に愕然・・・

海外旅行では、一緒に行った友だちに「英語が話せない」ことがバレるのが嫌で口をつぐむ始末。

・・・というより、英語が全くと言っていいほど出てこなかったんです。


就職活動に向けてTOEICは受けましたが、「その点数なら書かないほうがいいよ」という先輩の「ご丁寧な」アドバイスをいただきました。

履歴書やエントリーシートの英語のスキル欄は、白紙で出しました。

私の英語学習「暗黒期」


社会人になって2年目で会社で受験したTOEICは490点でした。

一緒に受けて余裕で800点を超えていた同期(帰国子女)に鼻で笑われ、悲しいやら悔しいやらの気持ちを今でもよく覚えています。

そのとき働いていた会社は、英語ができる人が多かったので、このままではヤバイ!と、帰社後や休日の時間を使って、英語の勉強をするようになりました。

「英語、できなくても困らないも~ん」と周囲には強がりつつ、ひそかに「英語コンプレックス」をず~っと抱き、ず~っと隠れて勉強していました。

・・・が、私の英語力はなかなか思うように伸びてくれませんでした。

大学受験の名残で文法知識は十分!長文もまぁまぁ読める(かも)!

と自負していたものの、TOEICのリーディングで点数とれず・・・リスニングに至っては全く聞き取れず、パニックになったり、諦めモードになったり・・・

英語の参考書は山ほど買いました。

英会話スクール、聞き流し教材、チケット制の英会話サークル、外人カフェ…どれをやってもイマイチ英語力が伸びている実感もなく、結果もついてきませんでした。

CMで有名な聞き流し教材、●ピードラーニングもやりました。

「これさえ真剣にやれば今度こそペラペラになれるはず…」と信じて、毎日の通勤電車の中で聞き、歩いている最中も聞き、数年続けました。

CDは全て、聞き倒しました。・・・が、私にはほとんど効果なかったように思います。

インターネット上で、魅力的なセールスレターの情報商材の類もたくさん買ってしまいました。

「1週間でペラペラに~♪」とかいう売り文句に惹かれて数万円の教材についつい手を出してしまってました。

そして、買ったときはテンションが高いのに、やり遂げることなくすぐに投げ出す、の繰り返し。

時間もお金も浪費しつつ、三十路手前になんとかTOEICは800近くまで来ましたが、800点の壁がなかなか超えられず・・・でした。

それまでの私は自分の英語学習には実に多くの時間と費用を費やし、何度も壁にぶつかり、たくさん回り道をしました。


私が、英語に真剣に向き合うことになったきっかけ


そんな私に転機が訪れたのは、30歳過ぎでした。

きっかけは、育休中の保活の失敗でした。

1歳の娘を保育所に入れることができず、会社を辞めるざるをえなくなったのです。

7年間勤めた会社、転勤をしてまで築いてきたキャリアを手放すのは本当にショックで、今までがんばってきたことはなんだったのかと落ち込みました。

でも、いつまでもクヨクヨしていたってしょうがない。いつか、働ける環境になったとき、いつでもどこでも人に求められるスキルを身につけよう!と決意しました。

手に職を!と色々な国家資格を調べたり、インターネットビジネスに手を出したり、とある国家資格をとるため、資格スクールの通信講座を数十万出して受講したりしました。

しかし、そのうち気づいたのです!

そうだ!やはり英語だ!

ずっと変わらずに必要とされる、いや、これからますます必要とされるスキル。

ビジネスでも、プライベートでも活用できて、人生を豊かにしてくれるもの!

英語でプロ並みのスキルを身につけよう!

絶対に、英語を身につけて、第2の人生を生み出してやる!

そう強く決意したんです。

それからの私の英語学習は、これまでとは一変しました。

人生をかけた英語学習に取り組み、自分を変え、学習方法を変え、集中的かつ戦略的に学習に取りみました。

およそ半年間の集中的な学習期間が、私の英語力を飛躍的に伸ばしてくれました。

結果、ケンブリッジCELTAのコースへ入門、そして資格取得に至ったのです。


その後は、効率の良い英語学習のスタイルがしっかり身についていたので、思い立って目標設定さえすれば順調に英語力を伸ばしていくことが出来ました。

TOEICも960点まで上がりました。

そして、2018年の春、英検1級に合格しましたが、このとき生後6か月の赤ちゃんの育児中(上にも2人の娘つき^^)&仕事にも復帰してバリバリやりながらです。

私の英語ができない時代を知っている家族・友人や元会社の同僚などは、いま私が英語を教えているということに「意外・・・」と思っている人が少なくないです。

そうはいっても・・・と言われるのが…「もとから頭が良いんですよね?」と。

川崎さんだから、MAKIさんだから、結局は成功されたのでしょ?ってよく言われます。

・・・が、私は昔から頭が決していいわけではありませんでした。

むしろ、逆・・・

でも、どうして私がこうして学び続けるようになったのは生い立ちが大きく影響しています。

子供時代の、ある決定的な事件がなければ、今の私はなかった。

「逆境が人を強くする」とはよく言ったものですが・・・、以下を読み進めて下さればわかると思います。

もっと私のことを知ってみたいという方だけ読み進めてみてください。


私の生い立ち(~大学時代)


完全なる落ちこぼれだった小学生時代


私は、これでも東大出身(一浪してますが・・・)なのですが、東大卒だというと、よく言われるのが、

「もともと頭良かったんだね。」

とか

「子どものときからすごく勉強できてたんでしょ。」

というものです。


・・・が、私は小学校のときはどちらかというと落ちこぼれでした。

とくに、小学校3、4年のときはひどかった・・・。

テストで40点とか50点とかは普通でした。

30点とか40点とかとった日は、庭でテスト用紙をよく燃やしました。

でも、詰めが甘い私は焼いた後に微妙~な焼け残りがあったり、ごみ箱に捨てたはずの答案をごみ出しの日に母に発見されたり・・・。

そのため、テストの点数を上げようとか、どうやったら成績を上げられるかというのではなく、どうやってテストをバレないように処分しようとそればかり考えているような子でした(笑)

小学校3年生のときだったか、社会のテストで、「都道府県名テスト」(48都道府県名を白地図に書くもの)があったのですが、

クラスには満点の子が数名いた一方、私は「北海道」しか書けず、答案を見た母から「せめて自分の住んでるとこ(香川県)ぐらい書きなさいっ!」と怒られたこと、今でも鮮明に憶えています(苦笑)。


小学校3、4年生のときの担任の先生が、これまた、えこひいきのひどい女の先生だったのですが、

クラスでビリぐらいの成績でぼ~っとした感じだった私は、逆の意味で「ひいき」され、すごく冷遇されました。

小学校4年生のときにいじめに会い、クラスの女子の大半から「シカト」される辛い日々を過ごしました。

そのとき先生に訴えても、まったく相手にされず、
「被害妄想だ」とか「だとしたら、あなたがいじめられるようなことしたんじゃないの?」と突き放されました。


悪いことをしたとか、問題児だったという認識は私自身はあんまりないんですけど・・・

個人面談では、母も私のことで「授業態度が悪い」とか「友だちづきあいが悪い」とか結構ひどいこと言われたみたいで、唖然としつつも傷ついた様子でいたのは子どもながらに見ていて辛かった・・・。

落ちこぼれ扱いされて、めちゃくちゃセルフイメージが低かった小学校3~4年時代・・・でしたが、

小学校5~6年生は奇跡的に優し~い先生に恵まれ、人並みぐらいには勉強に取り組むようになったのです。


人生最大のピンチ!家庭のどん底事情・・・


中学校に入る間際・・・我が家にある事件が起こりました。

いや、事件が起こった、というか大変なことが発覚したのです。

それは・・・

私の父は小さな会社を経営していたのですが、その父が数千万という多額の借金を抱えていたことが発覚したのです。

そして、私と弟、妹の貯金(お年玉などの積み立て)もゼロになっていました。

住んでいた家も土地も、借金の担保になっていました。

さらにさらに、後で知ったことなのですが、銀行だけでなく、ヤバイところ(いわゆる消費者金融とか・・・)からも借金をしていて、

取り立て屋さんから母は「奥さんの内臓を売ればいいじゃないですか?」と言われたこともあったそうで・・・

母は子どもを連れて心中ってことも真剣に考えた時期もあったそうです。

いま、私が生きてここにいるというのはむしろ奇跡じゃないかな・・・と今でも思い、命あることに感謝しています。


そんなヤバい状況で、これからどうやって生きていくの??という状況の中で、「あ、私、間違いなく高校には進学できないな・・・」と思ったわけです。

家族で生きていけさえすれば御の字!と思っていたので、「将来、高校や大学に行く」という選択肢は皆無だと思いました。

そう思ったとき、「今しか、勉強できない!」って思ったんです。

そしたら、無性~に勉強したくなって、そこから猛勉強し始めました!

中学校のうちに一生分勉強しよう!

って思ったら、小学校のときには好きじゃなかった勉強も苦じゃなくなりました(笑)。

中学校に入ったばかりのときはそれほどでもなかったのが、中1の終わりごろには学年上位になり、中学校2年のときのテストでついに学年トップになれました!

自分でもびっくり(笑)。

一度トップをとると欲が出てくるもんで・・・どんどん勉強を始めました。

もちろん、英語の成績も上がりました。

英語の先生にスカウトされて、学校を代表して英語のスピーチ大会の地区大会にもチャレンジしました。

天?母?の助けで、高校進学がかなった!


その後・・・、半ばあきらめていた高校進学がかないました。

借金は消えませんでしたが・・・(笑)、

私が中学1年のとき、母が家計のためにと起業し、学習塾を始めたのですが、それがわりとうまく行き、なんとか生活できる状況もでき、私の高校進学の目処もたったのです。

中学のときの成績が良かったので、高松にある進学校に合格しました。

香川県のはじっこのド田舎から、高松の中心にある高校に、片道1時間半ぐらいかけて通いました。

私にとって、高松ですら「都会」で、毎日ウキウキしながら高松に通ってました。

完全にお上りさん状態。

高校に入学してからしばらくは、毎日高松の商店街のアーケードを「街ブラ」してたので・・・成績下がりました。

下がった・・・というより、さすが「都会」出身の同級生たちは頭が良くて、かなり出遅れ感がありました。

学校の進度や、周りの出来についていくのが必死でした。

そして、中学校のときにはさほど苦労なかった英語が・・・

高校英語、難しすぎる!!

文型??なんじゃそりゃ!・・・状態。

必死で必死で勉強して、・・・大学受験は、京大を受験したのですが、不合格・・・。

まぁ、模試の判定でもD判定とか出てたのに無謀にもチャレンジしたので、当然と言えば当然です。 

当時の担任にも、「絶対やめなさい!無謀!」って言われてたのに、なぜか「京都大学」への憧れが強すぎて、強行突破したのです。

今から考えても受かるはずがない・・・のですが、当時は落ちてかなりショックでした。

しかも、我が家の経済状況からは私立は無理なので、国立1本の受験だったので、行くところがなく、浪人決定・・・。


血と汗と涙の浪人時代


こうして4月から気持ち新たに(?)始まった浪人生活・・・

浪人は、予備校ではなく(つうか、県下はもちろん四国には予備校がない・・・)、高校に「補習科」という浪人生のためのクラスがあり、高校の先生がふつ~に授業をしてくれるのです。

当初、現役時代と同じ大学(京大)を志望していました。

すると、「補習科」の英語を担当(高3のときも英語の先生だった)する、M先生から「お前、京大はやめろ!」との忠告が・・・。

来た来た!無謀ってことなのね・・・

と思いながら、

「はぁ・・・」

と聞いていたら、M先生、

「おまえは東大を狙え!」

・・・は?????

私:「と、東大ですか??

いやいや・・・無理です・・・。

京大でさえ、ちょっと無謀かな~と思うのに東大なんて無理ですっ!!」

M先生、「いや、お前は絶対、東大向き!うん、京大は無謀やな。京大に行けるのは天才肌やから・・・。でも東大なら行ける!」

???

いやね。。。確かに私は決して「天才」ではありませんけどね。

な、なにを根拠に・・・

・・・と、ぐるぐる考えつつ、

「あ、いや・・・でも、あの・・・」とぶつぶつ言っていたら、

「いいから、つべこべ言わずに東大にしろっ!」

私:「は、はい・・・」

みたいな感じで、志望校は東大になってしまったのです。

・・・という感じで、東大目指して浪人生活を過ごしていたわけなんですが、

まぁ~、前途多難でした。

模試を受けても、いいとこC判定止まり・・・。

同じ「補習科」」クラスの東大志望者はやはりみんな私よりデキる子が多く、

大丈夫かいな~、私・・・って感じでした。

でも、「やるしかない」って覚悟を決めて無我夢中でやりましたね・・・。

そうはいっても、なかなか思うように結果が出ないのが私の要領の悪さなのか、能力の足りなさなのか・・・

模試の偏差値が「38」


忘れもしない、浪人時代の夏の東大模試・・・、確か駿台の東大模試です。


国語の偏差値が38。

これだけは忘れません!


ガビーーーーーーーン!

偏差値38って・・・これが東大の試験の難しさか・・・


いや、しかし偏差値38って・・・


現役生じゃなくて浪人生ですよ、私・・・


凹みました。

凹んだけど凹んでる場合じゃない!


そっか、、、なかったことにすればよいのだっ!

で、どうしたかというと、

その模試の成績表を、家の庭で火をつけて燃やしました。

あ~~すっきり♪

これで「なかったことに」♪(笑)

それにしても、国語が偏差値38って・・・ねぇ・・・

語学センスなんてものがあるとすれば、私は間違いなく「ない!」ですね。

私の国語コンプレックス、こうしてブログをたくさん書いていてもいまだに拭いきれない文章コンプレックスは、たぶんこの経験が尾を引いている・・・(笑)


大波乱のセンター試験、オドロキ・モモノキの●判定!


浪人時代、私はかな~~~り勉強した自信があります。

全国の受験生の中でも、勉強量としては上位に入るほどじゃないでしょうかねぇ・・・

・・・というのは言い過ぎかもしれませんが、結構ガリ勉しました。

あ、でもスポコン魂注入!とかって「ガラスの仮面」読んだり、

世界史の勉強って言って「天は赤い河のほとり」読んだり、

古文の勉強って言って「あさきゆめみし」読んだり、

・・・なんだかんだ言って結構サボってんな、私・・・(笑)

で、迎えた1月のセンター試験。

めっちゃくっちゃ緊張し、・・・ってそれを言い訳にしてはいけないとはわかっちゃいるが・・・

返ってきた結果が・・・

え~っと、、、恥ずかしいので合計点は伏せますが、

合計点以上にショックだったのが、

国語 110/200点

?!

ま、、、、

まじっすか、、、


ちなみに、東大受ける人ってセンター試験はけっこう9割ぐらいとるもんなのですが、、、

出てきた志望校判定、

駿台、代ゼミ、河合、進研、・・・軒並みE判定・・・

と思ったら一つD判定が!河合!

やった~!D判定もあった!ほっ・・・

と思ったら、河合塾の判定は、A~D判定まで・・・という・・・(涙)

県内の東大志望者の中でも下から数えたほうが早い・・・

そして、気にしなければならないのは、足切り…

足きりになったら、二次試験は受けられません。

別の大学に進路変更するしか道はありません。

せっかく、志望校対策の勉強をずっとやってきたのに・・・

足切りラインの発表日までは気が気じゃありませんでした。

…で、ギリギリ足切りラインを越え、二次試験を受けられることになりました。


とはいえ、もうセンター試験でかなりのハンデを負ってる私。

一緒の大学・学部を受けようとずっと1年近くともにがんばってきた、当時の親友かつライバルは、

センターの点数が9割越えてA判定(!)が出ていて、余裕のよっちゃんって感じに見えました。


あ〜!もう〜〜!

センターの点数なんて、なかったことにしてしまいたいっ!!

…と思った私は、何をしたか??


「なかったこと」にしました^^


火をつけて燃やしちゃったんです。

センターの成績表を・・・

家の庭でね。


「はい!

これで、なかったことに!!」

という具合(^^)

(なわけないだろ~って感じですが・・・)

そんな感じで、なんとか気持ちを切り替えようともがき、

そうはいっても私が不利な状況は変わらない・・・


私はこのとき強く決意したわけですっ!

「全国の受験生の中で一番たくさん勉強してやるっ!!」

・・・て(笑)


で、私はセンタ試験が終わって一通りショックで寝込んだ後の1月下旬から、忘れもしない東大二次試験の日、2月24日まで、

一生分の勉強をするつもりで、必死で勉強しました。


睡眠時間は3時間、リポDとかユンケルを1日に3~5本飲んでました。

今から考えると、超スーパー体に悪いですよね・・・

だって、時々手が震えていたもの・・・禁断症状??

良い子はマネしちゃダメよ!(笑)

すんごい勉強して、毎日アドレナリン出まくって、おお~~~いい感じだぜぃ~~!このまま突っ走るばいっ!←なぜか九州弁??(笑)

・・・という矢先に、

ありえないスランプ(?)が・・・

なんと、文章が読めないのです。

意味わかんないしって!・・・って思われるかもしれませんが、、

次の行に進まないんです。

って感じですよね?

あのですね、、、

国語のとくに現代文の文章題とか英語の長文を読んでいても、目が同じ行ばかり追っていて、次の行に目が、意識が行かないんですよ・・・

同じ行ばっかり読んでるんですよっ!

嘘のような話でしょ??

ほんとなんですっ!!!



「これがもしかして・・・スランプ・・・ってやつか・・・??」


で、この「スランプ」を抜け出すために私はいろいろな方法を試しました。

なんと、私、英語にいたっては中学の教科書をひっぱり出してきて読み始めたんです。


「簡単な文章からリハビリするしかない!」と思って(笑)。


この中学の英語教科書がよかった!

さくさく読める!

「同時通訳の神様」と呼ばれる、只管音読で有名な國弘正雄先生もおっしゃってます、「中学の教科書が何よりも最高!」と。

当時は知る由もありませんでしたが・・・


一方で日本語、つまり国語の文章が読めなくなったことに対しては、大好きな漫画を使って「とにかく字を追う」ということから始めました。

国語の古文に出るかもしれない!と源氏物語の漫画版、『あさきゆめみし』を読みふけりました(笑)←←勉強しろよっ!(笑)


・・・という感じで、なんか色々やりまくってあんまり全部は覚えていませんが、無我夢中で自分を立て直し、なんとか挑んだ東大二次試験!

スランプに陥って文章が読めなくなっていた英語が、とくに易しい年だったこと、

国語で、得意分野の源氏物語(←漫画「あさきゆめみし」にハマっていたので・・・)が出題されて、

・・・という運に助けられ、大逆転の合格でした。


たぶん私、相当底辺での合格だったはず・・・


大学で、英語の壁にぶつかる…


で、晴れて念願の大学生になれたわけですが、大学時代は遊びすぎて、学問はまぁまぁまぁまぁ・・・ほどほどに。

そして、英語は完全に放棄してしまったのは、上述した通り・・・

英語の壁にぶつかり、いやもう壁にぶつかっていくことすらせず英語から逃げ、就職活動のエントリーシートにも英語力に関しては全く触れられず・・・

今から考えると、何をやってたんだか、私・・・と今更ながら反省しています。


実は、私、「気象予報士」です、そしてテレビ出演も・・・


さて、大学時代は学問から逃げていたかのような私ですが・・・

実は、私、大学時代に気象予報士になっているんです。

しかも、これまで実施された気象予報士試験の中でもっとも低い合格率(4%)の年に!

そして、「気象予報士」の資格を生かし、東京(某)キー局のBS放送で1年半近くお天気キャスターをしていたんです。

いわゆる学生キャスターですが、ちゃんとりっぱに(笑)気象解説してたんですよ。

師匠も森田正光氏と地上波の特番にも出演させていただく機会もありました。

・・・という話はさておき、実は私の勉強人生の中で、この気象予報士試験が一番うまくいきました!

文系出身、気象予報士に必要な、物理・化学・地学の知識まったくゼロ(私は理科は「生物」選択だったので・・・)の状態から、1年半弱の学習期間で合格しているんです。

しかも、合格率4%の、気象関連の実務経験のある人でも落ちる試験に・・・

しかも、大学生活をめちゃくちゃ楽しみながら!

毎日サークルに行ったり、飲みに行ったり、デートしたり、・・・楽しい大学生活を我慢するなんてこと、全くありませんでした!

後に、英語の勉強をダラダラやってたときに、「どうして、この気象予報士試験に向けた学習戦略をやんなかったんだろう・・・」と思うぐらい。

短期間でも、期日を決めた目標に合わせて学習プランを作り、正しい効果的な方法で学習する、これがちゃんと出来てたんですね。

そして、今は気象予報士に関連する仕事はま~ったくしておらず、ただ持っているだけの資格になってしまいましたが、

それがなかったら、テレビに出演するお仕事なんて、めったにない機会に巡り会えなかったはずだし、それを通して知り合い、今でも交流が続いている方々とのご縁もなかったし・・・

学びは、人生の楽しみや可能性を生み出してくれる、というのはこの頃から実感していました^^


英語コーチとして・・・私の使命(ミッション)


ここまで読んでくださったあなたは、相当の根性の持ち主です。

でなければ、私の熱狂的なファンに違いありません!...ウソです、ごめんなさい...(笑)


あなたのこの根性をもってすれば、たった3か月間の間、しっかり英語に向き合って正しい戦略で学習すれば、あなたが理想とする英語力は手に入るはずです。

よくよく考えると、何かを学べるというのはとても幸せなことだと思うんです。

とくに英語は、仕事・学業・プライベートとあらゆる面で、人生の可能性を広げてくれるものだと思います。

英語コーチングは、英語学習を通して人生を変革するプロセスだと私は考えています。

私の使命は、英語コーチとして、

「英語を話せるようになりたい」

「いまの英語力をもっとアップしたい」

という方を全力でサポートし、私がかかわることで理想としている英語力を身につけ、より幸せな人生へと大きく歩みだしてもらうこと、そんな人を一人でも多く生み出すことです。

いつか、ご縁がかないましたら、あなたと直接お話しできますことを楽しみにしております。

そして、あなたの目標達成と、それによりワクワクする人生を手に入れるためにサポートができれば私はとても嬉しく思います!