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株式会社e-LIFEWORK

落ちこぼれでも、…偏差値38からの東大合格作戦

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3ヶ月で必ず目標達成をさせる英語コーチ。オンライン(Zoom)で英語コーチングプログラムを提供。世界でもっとも認知度の高い国際的英語指導資格(ケンブリッジCELTA)を持地、1000人以上の英語指導経験から、お一人お一人にあった英語学習戦略を組み立て、徹底サポート。自身が「英語が話せない」「TOEIC490点」「長い英語コンプレックス」という状態から、ほぼ独学で、TOEIC960点、英検1級、通訳・翻訳をこなすスピーキング力を身につけた逆転の女王(笑)なので、「英語が苦手!嫌い!」という学習者の気持ちが痛〜いほどよくわかる!

私は昔から頭が決していいわけではありませんでした。

むしろ、逆・・・小学校の時はクラスでビリ級の成績の悪さでした。

そんな私でも、東大生になれました。

そして、「教える」という仕事へ。

 

でも、どうして私がこうして学び続けるようになったのは生い立ちが大きく影響しています。

子供時代の、ある決定的な事件がなければ、今の私はなかった。

「逆境が人を強くする」とはよく言ったものですが・・・、以下を読み進めて下さればわかると思います。

もっと私のことを知ってみたいという方だけ読み進めてみてください。

 

私が大学に入るまで…落ちこぼれ&苦学生でした

完全なる落ちこぼれだった小学生時代

私は、これでも東大出身(一浪してますが・・・)なのですが、東大卒だというと、よく言われるのが、

「もともと頭良かったんだね。」

とか

「子どものときからすごく勉強できてたんでしょ。」

というものです。

・・・が、私は小学校のときはどちらかというと落ちこぼれでした。

とくに、小学校3、4年のときはひどかった・・・。

テストで40点とか50点とかは普通でした。

30点とか40点とかとった日は、庭でテスト用紙をよく燃やしました。

でも、詰めが甘い私は焼いた後に微妙~な焼け残りがあったり、ごみ箱に捨てたはずの答案をごみ出しの日に母に発見されたり・・・。

そのため、テストの点数を上げようとか、どうやったら成績を上げられるかというのではなく、どうやってテストをバレないように処分しようとそればかり考えているような子でした(笑)

小学校3年生のときだったか、社会のテストで、「都道府県名テスト」(48都道府県名を白地図に書くもの)があったのですが、

クラスには満点の子が数名いた一方、私は「北海道」しか書けず、答案を見た母から「せめて自分の住んでるとこ(香川県)ぐらい書きなさいっ!」と怒られたこと、今でも鮮明に憶えています(苦笑)。

小学校3、4年生のときの担任の先生が、これまた、えこひいきのひどい女の先生だったのですが、

クラスでビリぐらいの成績でぼ~っとした感じだった私は、逆の意味で「ひいき」され、すごく冷遇されました。

小学校4年生のときにいじめに会い、クラスの女子の大半から「シカト」される辛い日々を過ごしました。

そのとき先生に訴えても、まったく相手にされず、
「被害妄想だ」とか「だとしたら、あなたがいじめられるようなことしたんじゃないの?」と突き放されました。

悪いことをしたとか、問題児だったという認識は私自身はあんまりないんですけど・・・

個人面談では、母も私のことで「授業態度が悪い」とか「友だちづきあいが悪い」とか結構ひどいこと言われたみたいで、唖然としつつも傷ついた様子でいたのは子どもながらに見ていて辛かった・・・。

落ちこぼれ扱いされて、めちゃくちゃセルフイメージが低かった小学校3~4年時代・・・でしたが、

小学校5~6年生は奇跡的に優し~い先生に恵まれ、人並みぐらいには勉強に取り組むようになったのです。

人生最大のピンチ!家庭のどん底事情・・・

中学校に入る間際・・・我が家にある事件が起こりました。

いや、事件が起こった、というか大変なことが発覚したのです。

それは・・・

私の父は小さな会社を経営していたのですが、その父が数千万という多額の借金を抱えていたことが発覚したのです。

そして、私と弟、妹の貯金(お年玉などの積み立て)もゼロになっていました。

住んでいた家も土地も、借金の担保になっていました。

さらにさらに、後で知ったことなのですが、銀行だけでなく、ヤバイところ(いわゆる消費者金融とか・・・)からも借金をしていて、

取り立て屋さんから母は「奥さんの内臓を売ればいいじゃないですか?」と言われたこともあったそうで・・・

母は子どもを連れて心中ってことも真剣に考えた時期もあったそうです。

いま、私が生きてここにいるというのはむしろ奇跡じゃないかな・・・と今でも思い、命あることに感謝しています。

そんなヤバい状況で、これからどうやって生きていくの??という状況の中で、「あ、私、間違いなく高校には進学できないな・・・」と思ったわけです。

家族で生きていけさえすれば御の字!と思っていたので、「将来、高校や大学に行く」という選択肢は皆無だと思いました。

そう思ったとき、「今しか、勉強できない!」って思ったんです。

そしたら、無性~に勉強したくなって、そこから猛勉強し始めました!

中学校のうちに一生分勉強しよう!

って思ったら、小学校のときには好きじゃなかった勉強も苦じゃなくなりました(笑)。

中学校に入ったばかりのときはそれほどでもなかったのが、中1の終わりごろには学年上位になり、中学校2年のときのテストでついに学年トップになれました!

自分でもびっくり(笑)。

一度トップをとると欲が出てくるもんで・・・どんどん勉強を始めました。

もちろん、英語の成績も上がりました。

英語の先生にスカウトされて、学校を代表して英語のスピーチ大会の地区大会にもチャレンジしました。

天?母?の助けで、高校進学がかなった!

その後・・・、半ばあきらめていた高校進学がかないました。

借金は消えませんでしたが・・・(笑)、

私が中学1年のとき、母が家計のためにと起業し、学習塾を始めたのですが、それがわりとうまく行き、なんとか生活できる状況もでき、私の高校進学の目処もたったのです。

中学のときの成績が良かったので、高松にある進学校に合格しました。

香川県のはじっこのド田舎から、高松の中心にある高校に、片道1時間半ぐらいかけて通いました。

私にとって、高松ですら「都会」で、毎日ウキウキしながら高松に通ってました。

完全にお上りさん状態。

高校に入学してからしばらくは、毎日高松の商店街のアーケードを「街ブラ」してたので・・・成績下がりました。

下がった・・・というより、さすが「都会」出身の同級生たちは頭が良くて、かなり出遅れ感がありました。

学校の進度や、周りの出来についていくのが必死でした。

そして、中学校のときにはさほど苦労なかった英語が・・・

高校英語、難しすぎる!!

文型??なんじゃそりゃ!・・・状態。

必死で必死で勉強して、・・・大学受験は、京大を受験したのですが、不合格・・・。

まぁ、模試の判定でもD判定とか出てたのに無謀にもチャレンジしたので、当然と言えば当然です。

当時の担任にも、「絶対やめなさい!無謀!」って言われてたのに、なぜか「京都大学」への憧れが強すぎて、強行突破したのです。

今から考えても受かるはずがない・・・のですが、当時は落ちてかなりショックでした。

しかも、我が家の経済状況からは私立は無理なので、国立1本の受験だったので、行くところがなく、浪人決定・・・。

血と汗と涙の浪人時代

こうして4月から気持ち新たに(?)始まった浪人生活・・・

浪人は、予備校ではなく(つうか、県下はもちろん四国には予備校がない・・・)、高校に「補習科」という浪人生のためのクラスがあり、高校の先生がふつ~に授業をしてくれるのです。

当初、現役時代と同じ大学(京大)を志望していました。

すると、「補習科」の英語を担当(高3のときも英語の先生だった)する、M先生から「お前、京大はやめろ!」との忠告が・・・。

来た来た!無謀ってことなのね・・・

と思いながら、

「はぁ・・・」

と聞いていたら、M先生、

「おまえは東大を狙え!」

・・・は?????

私:「と、東大ですか??

いやいや・・・無理です・・・。

京大でさえ、ちょっと無謀かな~と思うのに東大なんて無理ですっ!!」

M先生、「いや、お前は絶対、東大向き!うん、京大は無謀やな。京大に行けるのは天才肌やから・・・。でも東大なら行ける!」

???

いやね。。。確かに私は決して「天才」ではありませんけどね。

な、なにを根拠に・・・

・・・と、ぐるぐる考えつつ、

「あ、いや・・・でも、あの・・・」とぶつぶつ言っていたら、

「いいから、つべこべ言わずに東大にしろっ!」

私:「は、はい・・・」

みたいな感じで、志望校は東大になってしまったのです。

・・・という感じで、東大目指して浪人生活を過ごしていたわけなんですが、

まぁ~、前途多難でした。

模試を受けても、いいとこC判定止まり・・・。

同じ「補習科」」クラスの東大志望者はやはりみんな私よりデキる子が多く、

大丈夫かいな~、私・・・って感じでした。

でも、「やるしかない」って覚悟を決めて無我夢中でやりましたね・・・。

そうはいっても、なかなか思うように結果が出ないのが私の要領の悪さなのか、能力の足りなさなのか・・・

模試の偏差値が「38」

忘れもしない、浪人時代の夏の東大模試・・・、確か駿台の東大模試です。

国語の偏差値が38。

これだけは忘れません!

ガビーーーーーーーン!

偏差値38って・・・これが東大の試験の難しさか・・・

いや、しかし偏差値38って・・・

現役生じゃなくて浪人生ですよ、私・・・

凹みました。

凹んだけど凹んでる場合じゃない!

そっか、、、なかったことにすればよいのだっ!

で、どうしたかというと、

その模試の成績表を、家の庭で火をつけて燃やしました。

あ~~すっきり♪

これで「なかったことに♪」としてしまえば良いわけです(苦笑)。

偏差値が「38」から…どん底があれば後は這い上がるのみ!」

偏差値「38」を取ったら、あとは這い上がるのみ!

・・・ですが、その後、私の成績はグングン上がっていた!・・・わけではなく、なかなか合格には届かない偏差値や判定が続きました。

全国模試の判定は、良くてC判定止まり。

それでも、「模試の判定なんて厳しすぎるもの!」「本番でいいパフォーマンスができれば大丈夫!」と自分に都合の良い言い聞かせをして、悪い結果ほど見て見ぬふりをしていました。←これ大事!(笑)

で、これ以上、下がりようはずがない!…と思ったら、まさかまさかのセンター試験で…やらかしました。

センター試験で「E判定」、あわや「足切り」?!

大学入試の点数の一部にもなる、センター試験。

ここで、私はやらかしちゃいました!

さらには、センター試験では、国語の点数が110/200点という…(東大生は9割の180点ぐらい取っているものですが…、東大のクラスメイトには驚かれました…)。

合計は、800点満点中の、610点で、足切りラインすれすれでした。

ちなみに、同じ大学同じ学部を志望していた当時の、ライバル的親友は、720点…完全に差がついてしまいました。

そして、センター試験から分析した、志望大学の判定は…

各予備校が、判定を出してる中で、私の東大に関する判定は、軒並み「E判定」。

しかし、1社だけ、D判定が?!

D判定…ちょびっとだけ救割れた気持ちで、一瞬ホッとしたら…なんと、判定がA〜D判定までしかありませんでした、K合塾の判定基準…ガクっ…

で、その結果を見た数日間は、落ち込みました、泣きました、絶望しました…

数日間、落ちるところまで落ちたら…、もう完全に開き直りました。

「よっしゃ〜〜〜!どうにでもなれ!!とりあえず死ぬ気でやったる!!」

と自分でも信じられないぐらい浮上できて、

「試験までの後1ヶ月、全受験生の中で一番たくさん勉強する!勉強量だけは日本一になる!」

とよくわかんない決心をしました(笑)。

そこからの1ヶ月は…はっきり言って記憶が曖昧なんですが、文字通りめちゃめちゃ勉強しました。

睡眠時間は毎日3〜4時間…1日に3〜4本ぐらいユンケルとかリポD飲んで…(リポDだと効かないので途中でリポビタン・ゴールドに変更)、水分補給は缶コーヒー…←良い子は真似しないでね。

体調も精神も極限に近いぐらい、イッちゃってたかもしれません。←なので、ほんっとに真似しないでね(笑)

で、受験のために上京して宿泊していたホテルでも、試験前夜遅くまで過去問や予想問題集の復習…眠れなくて朝5時に起きてまた復習…とかやって(笑)

この時に私の言葉を支えていた言葉、そして英検やTOEICを受験されるクライアントさんにも常々言っている言葉なんですが、

「最後まであがく者が勝つ!」。

最後まであがいたものの、試験終わった後は、合格できる自信は全くなく…

とはいえ、燃え尽き症候群で、後期試験の勉強にも身が入らず…。

で、運命の合格発表日…。

結果、合格していました。

努力は裏切らない、です。

頑張った成果が出て嬉し泣きする…この瞬間って一生忘れられない思い出になる。

今、私がコーチを生業にしているのも、クライアント様のこうした瞬間に立ち会いたい体と思うんですよね〜(しみじみ…)

 

 

 

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